「歴史を変えたデヴォンシャー公爵夫人の<姿勢>」

こうやって原稿をパソコンに向かって打っている時にはつい、姿勢が悪くなってしまいがちです。
あ、いけない!と思って肩をぐいっと引いて、腹筋に力を入れて頭を少し後ろに下げるようにします。
アゴを引く、という感じ。すると不思議なことに、だらんとなっていた時と比較するとむしろ「楽」なことが分かります。
つまり、だらしなくしていた時には、「楽ちん」なようでいて変なところに力が入っていたのです。
背筋を正しくすると、腰にも肩にも負担が少なくなります。

ご存じの方も多いかと思いますが、骨盤のゆがみを予防するために足はなるべく組まない方がいい。
たとえば新幹線に乗ったときなど、長時間座っている時に試しに足を組まないでいるとどうなるでしょうか。
東京―大阪間の移動だと、大阪についたときは太股の内側が「じんっ」となる感じがして、夕方にはなんとなく筋肉痛になっています(苦笑)。
どれだけ普段甘やかされている筋肉なんだっ!と言う感じです。

姿勢をよくすることも、足を組まないことも「座るため・立つため」に「必要な筋肉」を普段から鍛えることになります。
「美しく見える」ためには、日々の努力が必要というのはそういうことなんですね。
でもついついだらけてしまい、姿勢が悪くなりがちな私は、気が付いたときに、肩を思いっきり上にぐっと引っ張り上げて、それから一気に力を抜きながら下ろす、という動作をするようにしています。
上に上げるときに大きく息を吸い、吐くときに力を抜く。
そうすると、どれだけ「肩に力が入っていたか」が分かります。
肩こりの予防にもなります。
長時間座っている時に、変なところに入っている力を抜くのにも有効です。

サービス業など、長時間立っていなくてはいけないお仕事をされている方には特によくおわかりいただけるかと思いますが、ずっと立っているのは大変なこと。
しかもじっとしていないといけない、というのは余計大変です。
中学生や高校生の時に、卒業式や終業式などの、長時間立っていなくてはいけない式典で、貧血を起こして倒れる人が時々いましたよね。
「立ちながらじっとしている」ということは、かなりの緊張を肉体にも精神にも強いるものです。
一般人ならまだしも、「セレモニー」に出席することが仕事であるような方々は本当に大変です。
『ある公爵夫人の生涯』として映画化された、18世紀後半のイギリスの動乱期を生き抜いたデヴォンシャー公爵夫人の生涯を描いたノンフィクション”The Duchess”を読んでいます。
イギリス貴族のコミュニティの中でも、王族に次ぐ名門一族の一つで、中でもデヴォンシャー公爵家は名誉もさることながら、絶大な政治権力を誇っていました。
故ダイアナ妃の祖先でもあるスペンサー家出身のジョージアアナ・キャヴェンディッシュ・デヴォンシャー公爵夫人の日常生活は、現代の一般人の感覚で言う「プライベート」がまったく無いと言っていいほど「おおやけ(公)―パブリック」なものでした。

自宅に居るときでも、ある程度の「紳士淑女」(といっても一般人です)が邸宅を訪れた時は常にきちんとした格好で、丁寧に対応しなくてはいけません。
だからおちおち昼寝をしているわけにもいきません。
しかもそういった「来客」は基本的に「ノー・アポイントメント」。
来る者拒まず、というより、拒むことは許されていませんでした。
なぜなら、当時のイギリス社交界は「政治」と直結しており、デヴォンシャー公爵などの高い地位にある人も「有権者」の声を気にしない訳にはいきませんでした。
大貴族たちにとって、時代を生き抜く鍵は民衆からの「評判」にあったとも言えるのです。

デヴォンシャー家を訪ねた人が、ちょっとでも公爵夫人の対応が悪かったと言えば、たちまち噂となり、当時部数を伸ばしつつあった<新聞>でスキャンダルとして取り上げられてしまいます。すると、選挙に悪影響を及ぼします。
なぜデヴォンシャー公爵のような、代々「ハウス・オブ・ローズ」と呼ばれる「貴族院」の議席を保証される立場にある人が「選挙」を気にしなくてはいけないのか?
それは、アメリカが共和国として独立し、フランスが革命前夜にあるという時代背景があったからです。
イギリスでも政治への「参加」を求める民の声が日ごとに大きくなりつつありました。

「参政権」は富裕層に限られてはいたものの、徐々に広げられて行きました。
王の意見は相変わらず絶対ではありましたが、議会が王の権力をコントロールする<立憲君主制>を目指すのが大きな時代のうねり。
王が政治に介入することが大きな問題となっていました。
このため、デヴォンシャー公爵のような財力のある「有力者」にとって、自分の勢力下にある「ハウス・オブ・コモンズ」、いわゆる「下院議会」の議員がどれだけいるかは死活問題だったのです。
しかも、デヴォンシャー家はアメリカの独立を容認するというホイッグ党の擁護者でした。
つまり、アメリカは自分の<領地>であり、独立など絶対認められないという立場にあった王であるジョージ三世と、彼の支配下にあったトーリー党とは対立関係にあったのです。
<民衆>の党であることを強く押し出して選挙を戦っていたホイッグ党は、女性でありながら勇ましく候補者を応援するスピーチを行い、注目を集めたデヴォンシャー公爵夫人を党の<象徴>として活用しました。

大貴族の<カントリーハウス>と呼ばれる代々の領地に立てられた邸宅は、常に来客に向けて開かれているだけでなく、週に一度、<パブリック・デー>という日を設けていました。
この<パブリック・デー>には、館(多くは城)が完全に開放され、領地内の民には酒と食べ物が振る舞われました。彼らを<客人>としてもてなすのも公爵夫人の重要な仕事です。
朝から深夜まで、一説によると総重量10キロもあったと言われる正装で、立ったまま、農民たちひとりひとりを丁重に迎え、笑顔で会話をしたそうです。
これはかなりの重労働です。
しかも、今でいう「パパラッチ」に一挙手一投足を常に見張られている状況です。
ちょっとでも当時の「プロトコル=礼儀作法」に抵触するような言動を取ったなら、たちまちロンドンに報告され、イギリス全土に伝えられます。
極端な話、アメリカの独立すら彼女の言動に左右される状況にあったと言ってもよいかもしれません。これは想像を絶するプレッシャーだと思います。

彼女は、16歳にして公爵夫人となり、25歳頃には、名声を欲しいままにし、民衆に最も人気のある<セレブ>としての地位を確立していました。
彼女の人気の秘密は何だったのでしょう。
映画では<絶世の美女>として描かれていますが、歴史に残された記録では、彼女は決して<いわゆる美女>では無かった、ということが伝えられています。
ただ、目鼻立ちが特に美しかったわけではなくとも、その<立ち居振る舞い>についての賞賛は数多く残されています。
エレガントで優美な所作と堂々とした振る舞い、ウィットに富んだ会話の才能などが、公爵夫人の<長所>として伝えられています。
特に、背が高くてスラっとしていたという彼女に最も多く用いられる形容詞は<handsome―ハンサム>です。
当時の英語で<handsome>は、堂々として見事なに加え、すっきりとしてエレガントな、という意味合いがあったようです。
いわゆる<beuaty―美女>では無いけれども、その<handsome―ハンサムさ>で人々を魅了した女性、それがデヴォンシャー公爵夫人の外見上の評判です。

それほど、背筋をすっと伸ばし、きちんとした姿勢でいることを心がけることは、実に大事なことなのです。
それは時に、歴史をも変えてしまう力を持っていることが、デヴォンシャー公爵夫人の生き方から感じることができます。
女性が公衆の面前に立って言葉を発すこと自体がある種の<タブー>であった時代、自ら<アーミールック>を取り入れてデザインしたドレスを身にまとい、ホイッグ党の若手政治家への支援を訴えたジョージアナ・スペンサー、デヴォンシャー公爵夫人は、<姿勢の良さ>ならびに<立ち居振る舞い>で歴史を変えた女性と言っても過言ではないのです。


posted: blooming date: May 25, 2009 2:33 PM