「行動」よりも「何もしないこと」によるリスク回避

旅立ちの時、スーツケースを引っ張って家を出る時に、「何か忘れている」という強迫観念にとりつかれることはありませんか?
何度もチェックして、何も忘れていないはずなのに、どうしても不安でたまらないという気持ち。

私は、仕上げなければいけない原稿の締め切りから、ヘアサロンに行く時期にいたるまで、ありとあらゆる「しなくてはいけないこと」を手帳に書き込んでいますが、そのすべてが順調に「チェック済み」になった週末、どうしても
「まだ何かやらないといけないことがあるんじゃないか」という不安に駆られてしまうことがあります。
何度チェックしても、やるべきことは全部終わっているのにもかかわらず、寝る前、横になって天井を見上げると、妙に不安になってしまうのです。

情報過多の社会に生活している現代人は、常に選択を迫られています。
その中で、何もしないよりは、とにかく「何か」「行動を起こす」方がいいとする傾向があります。
何もしないで失敗するよりも、八方手を尽くし、やれるべきことは全てやって、それでも失敗したときのほうが、後悔の念が少なくなると考える人の方が多いですよね。
「座して待つ」よりも、「行動」したほうがいいとする考え方です。

ところが、「意思決定」の場面においては、とっさの判断で何か行動を起こすよりも、「何もしない」ことのほうがよい結果を出すとする研究が発表され、話題になっています(注1)。
イスラエルのベングリオン・ネゲブ大学の講師、オーファー・アザル氏(注2)の研究チームは、ペナルティー・キック時のゴール・キーパーの「とっさの判断」を参考にしています。

(注1)http://www.nytimes.com/2008/03/01/business/01kick.html?_r=1&scp=1&sq=the+art+of+the+save&st=nyt&oref=slogin
(注2)
http://www.oferazar.com/papers.html

ペナルティー・キックのとき、キーパーは対面する選手のクセなどを考え、真ん中よりも右か左どちらかに少し寄ってボールを待つことがよくあります。でも、「右」だと読んだのに、実際に選手が「左」に蹴った場合は、防御することはできません。
「右だ」と「判断」して右よりにいくよりも、むしろ「何もしない」で、「そのまま」「真ん中」にいたほうが、防げる可能性が高かったはずです。

アザル氏の研究チームは、イスラエル国内で行われるサッカーの試合から、ペナルティー・キックのデータを収集し、比較しました。
すると、やや意外な結果が出たのです。
キーパーが「行動」(ボールが蹴られる前に右か左に寄ったり、蹴られると同時に右か左にジャンプするなど)を取った時と、「何もしなかった」(真ん中にとどまった)時を比較すると、「何もしなかった」時のほうが防御率が高かったのです。
具体的数字を挙げると、右か左に跳んだ時はおよそ13%の防御率だったのに対して、「何もしなかった」場合の防御率は33.3パーセントと、なんと倍以上なのです。

でも、ペナルティーキックを防げなかった時の「心理」をキーパーに聞いてみると、「自分を責める」度合いは、「右か左に跳躍した」時のほうが、「何もしなかった」時よりも低いことがわかったそうです。
数字から見ると、「何もしない」方が結果的によい成績が出ているにも関わらず。

これはどういうことでしょうか?
とっさの判断をすることに関してはプロ中のプロであるゴールキーパーにしても、実際の結果よりも、「何かした」という安心感を優先してしまう、ということなのです。

現在アメリカ経済の雲行きが怪しい状況ですが、こんなときはFRB(連邦準備制度理事会、アメリカの中央銀行にあたります)のトップ、バーナンキ議長などには「何かする」ことが求められます。
よく政府や中央銀行の「無策」が批判されますが、それを避けるためにも「八方手を尽くした」と言えるように、「あの手この手」を駆使するわけです。

他の調査でも、株価が下落しているときなどに、投資家が、何か「行動」を起こして150万円の損失をこうむったときと、同じく150万円の損失を「何もしない」でこうむったときでは、「何もしなかった」時のほうが心理的ダメージが大きいそうです。
結果は変わらないのに。

でもまぁ、人間としては理解できます。たとえ結果が同じだとしても、いろいろと手を尽くした後であれば、「しょうがないよね」と自分の言い訳になりますし。
ただ、ビジネス・マネジメントが専門のアザル氏研究チームによると、そのような姿勢が、私たちに「行動バイアス(=偏見)」を植え付けているということのようです。
何はともあれ、「何かする」方を好意的に評価してしまう、という<偏見>のために、私たちは客観的事実に基づき、論理的な判断を下すことができなくなってしまう、ということが、ゴールキーパーのペナルティー・キックの分析によって明らかになったのです。
「悪あがき」という日本語がありますが、これは「行動バイアス」と似ているところがあります。
つまり、どう転んでも事態が好転することは有り得ないのに、ムダな動きをする、ということです。
自分自身の経験で考えてみると、ムダな動きをして、つまり「行動」を起こしてしまったことによって事態がより悪くなったケースは、結構思い当たります。

人が「転職しようかな」と思うときは、現在の職場である程度のストレスを抱えているときです。
そのような状況では感情に走ることも多くなりがちです。
たしかに、そんな状況で「冷静」かつ「客観的」な判断を下せるか、というと、疑問符がつきます。
ではどうすればいいのでしょうか?ゴールキーパーの防御率から見ると、
「何もしない」
ことも選択肢のひとつに数えてもいいのかもしれません。
ただ、実際にキーパーの意見を聞いてみると、「真ん中に立ったまま何もしないで、セーブできたキーパーなんて見たことがない」という声もあるようです。
数え切れない選択肢の中から、自分の経験と五感を駆使して、ゴールキーパーは判断を下します。
ここから、キーパーの取った「行動」の是非は、防御率から単純に決めつけられるものではない、とも言えます。
また、数字などで明快に表すことができる「結果」よりも、「過程が大事」という立場を取るなら、結果はどうあれ「本人が満足」していればそれでいいではないか、と言うこともできるでしょう。

ただ、問題は、何が本人にとって一番「よいこと」か、何が本人にとって一番「幸せ」なのかを、本人がわからないことが多々あることです。
ストレス過多の状態だと、何がいいことで悪いことなのかさえよくわからなくなることってありますよね。
そういうときはどうすればいいのでしょうか?
私の経験で言うと、信頼できる友人にありのままを相談するのがよいように思います。
そうすると、自分よりも客観的に今の状況を判断してもらえるでしょう。
大抵の場合、「まずは落ち着いて、もうちょっと我慢してみるべき」と言う答えが返ってきました。
振り返ってみると、私の今までの人生で、転機となるような決断を迫られたとき、「何もしなかった、行動しなかった」ことが、のちのち良い結果を導いたことがいくつかあるのです。

「雉も鳴かずば撃たれまい」ということわざがあります。
「鳴いて」、つまりは「行動」を起こしてしまったことによって更に事態の悪化を招いてしまう、ということがないように、たとえ本当に「行動」を起こす必要があるときであっても、ギリギリまで待って見て、事態を静観してみることは大事なのでしょう。
そうすれば、自分が本当に求めているものは何なのか、段々とわかってくるかもしれません。
「過程」を取るのか、「結果」を取るのか、あるいは多少の物理的損をしたとしても、自分の「心の平安」を優先するのか…。
ただ、意思決定を求められたときに「何もしない」というのも、ひとつの選択肢とし常にオープンにしておいた方がいいということは、どうやら確実なようです。


posted: blooming date: February 29, 2008 1:25 PM