「伝える」よりもまず「聴く」こと。

書店に行くと、「コミュニケーション」や「伝える」ことに関する本が所狭しと並べられています。
プレゼンで社内の関係者を説得する術、信頼される話し方、などなど。
自分が出て、目立って、そして注目を浴びることに主眼がおかれている書籍が多いようです。
どちらかといえば「攻撃的」な「伝え方」と言えるでしょう。
人が話す、つまり誰か他人にモノゴトを伝えようとするスタイルを「攻撃的・守備的」にあえて二分してみると、あなたはどちらに入りますか?
「時と場合によるし…」と答えられるかもしれません。
私はどちらでしょう。
小さいときは、何か目新しいモノを発見すると、気になってしょうがなくて、自分で観察して、調べて、わかったことをみんなに伝えたくってしょうがない、そんな子供でした。
私は「攻撃的」な「伝え方」をするべく生まれついているようです。
オトナになっても、知りたがりで伝えたがりの性分はそのままですが、ラジオや雑誌、テレビといった「メディア」で「伝える」仕事をするようになって、ちょっとずつ変わってきたように思います。

大学の最終学年くらいから、ときどき文章を書いてお金をいただくようになりました。
当時私が書いた評論文を知っている人が、久しぶりに私が女性誌に書いたエッセーを目にしたらしく、メールをもらいました。
「ずいぶんすっきりした文章を書くようになったんだね。昔の、もっと言葉がハネているような文章の印象と比べると、あまりに違うから驚いたよ」。
彼が読んだ私の「昔の文章」というのは、学術誌などに掲載されたアカデミックなものです。
当然ながら、原稿用紙30枚の評論と、2枚の女性誌エッセーでは文章の目的がそもそも異なります。
毎日何かしら文章を書いて、プロの編集者の目に触れ、赤を入れられる作業を続けていれば、自ずと文章力は訓練されてゆくもの。
ただ、ここ数年の間に起きた私の文章の「変化」は、そういった変化ではなく、もっとなにか「質的」な、それこそ「変質」のようなものなのかもしれません。

取材で出張になるような大きな「ニュース」にはほぼ間違いなく人の生き死にが関わってきます。
大きな事件だからこそ行くし、大きな事件にはどうしても「命」が絡んでくる。
大事な友人を失った人、最愛の妻を失った夫、子供を失った母。
ついさっきまで何とはなしに過ごしていた日常が一瞬にして吹き飛び、気が付いたら大量の報道陣に囲まれて身動きが取れない。
何が起きたのかも理解できないままに、マイクを向けられ、質問を浴びせかけられる。
多くの人はとまどい、逃げようとする。
でもそれが「ニュース」であるからこそ、やはりマイクを向けられる人々も、マイクを向ける人々も、その宿命から逃れることはできません。

ベネディクト・アンダーソンという学者が書いた『想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』という本があります。
なにやらコムズカシイ感じのするタイトルですが、言いたいことはシンプル。
今私たちが暮らす世界は「国家―ネーション」を軸に動いています。
アメリカと日本、日本と中国、北朝鮮と韓国、国連やNAFTA、と言う風に。
ずいぶん長い間、人間は『国家』というシステムのなかで生きてきたように思いますけれど、実はこのシステムができたのは結構最近で、そこにはある「きっかけ」があったとアンダーソンは主張しています。
18世紀後半から19世紀前半にかけて、グーテンベルクの発明によって印刷技術が格段に向上し、大量の「新聞」を印刷することが可能になったことがその「きっかけ」。
「印刷された言葉」は遠くの地に住む人同士がコミュニケーションを取る唯一の手段でしたが、それまでは「ラテン語」をあやつる聖職者など一部の人に限られていました。
そこにドイツ語やフランス語、イタリア語といった、「俗語」、つまり「自分の国の言葉」で書かれた情報を、「新聞」によって共有する範囲が産まれた、それが「近代国家」だ、というのです。

「新聞」が無かったころは、山を越えた隣の村で殺人事件があろうと、山のこっち側の人間はそんな出来事があったことさえ知りません。
何かを「日常的」に「共有」することが無ければ、隣の村の人たちに親近感も覚えません。
つまり同じ「コミュニティ」にはいないのです。
ところが、事件の翌日に新聞でその事件を知ることができたらどうでしょうか。
中には、被害者が遠い親戚だということに気づく隣村の住民もいるかもしれません。
つまり、山をはさんでまったく別世界だった二つの村が、メディアによって、ひとつの「想像の共同体」になるのです。
だからアンダーソンの本には「想像の共同体」というタイトルがつけられているんです。
 
長時間の取材が続き、たてつづけに「もうあんたたちマスコミはやりすぎだよ。
遺族はそっとしておいてあげなよ」と言われてインタビューを断られたりすると、「何のために取材しているのか」、正直いって自分でもわからなくなります。
もう一日中寒空の下にいるし、いつ終わるともしれない聞き込みをつづけているし…こっちだってやめたいよ!遺族はそっとしておいてあげたいよ!って叫びたくなります(「とはいえ姉ちゃんも仕事だから大変だよね〜」と同情してくださる方もたくさんいらっしゃいます…)。

そんな折。やっとたどり着いたある証言者。
マスコミも、少ししかいません。
本人は、とっても傷ついているのがありありと伝わってきます。
マスコミを避けるため、寒い中何時間も自転車をこいでいたというのです。
でも彼女の友人が、「ここで全部はき出しておいて、それから身を隠した方が自分のためにもいいはず」と言い聞かせ、何とか出てきていただきました。
矢継ぎ早に飛ぶ質問。でも彼女はうつむいて答えない。
時折、首を縦にふったり、横に振ったりするだけ。
よく見ていると、彼女の首の振り方には明確な意志があって、その小さな体におさまりきらないほどの感情であふれていることがわかりました。

私は、「ニュース」として聞きたい「情報」を彼女から得ようとするのではなく、彼女の「感情」に語りかけることにしました。
ほんの一、二秒だったのか、あるいはそれよりもっと短い時間だったかもしれないけれど、緊迫した取材状況ではそれがとてつもなく長く感じられるものです。
しかし彼女は応えてくれるように感じました。
それは彼女の「呼吸」のようなものから感じられました。
堰のようなもので感情があふれないようにしていた、でもその堰が、実はもう決壊しそうなこと、というよりむしろ彼女自身が決壊させたい、誰にも伝えられずに一人で抱えてきた感情の渦から解放されたい、と思っているような気がしました。
「まだよくわからないけれど、あなたはとてもつらい思いをしている。信じられない経験をしている。ちょっとずつでいいから、聴いているから、話していただけませんか?」そんな気持ちを込めて、聴いてみました。

しばし待ったのちに、彼女がはっきりとした口調で、失った大事な友人について語り始めました。
それまで言葉にならない、かすかに聞き取れるくらいの声をもらしていただけだった人が、とつとつと、語り始めたんです。
結局、彼女のコメントはいわゆる「本記」と呼ばれるニュースの中身自体とズレてしまうということで放送されませんでした。
でもこのとき、私は色々なことに気づかされました。
彼女が、割合とはっきりと応えている週刊誌の男性記者がいました。
その男性記者の「聴き方」は私とはまったく違いました。
なぜ、彼女はあのとき、私と彼が聴いたことに応えてくれたのだろうか、と考えてみたのですが、おそらく、彼も私も、「一人の人間」として彼女に向き合ってみようと、どこかで腹をくくった瞬間があったのではないでしょうか。

そこから、その場の「空気」が少し変わりました。
通常ならば「間」があくと次の質問が投げかけられるのに、その場にいる全員が彼女の「応え」を待っていました。
待つこと、というのは、恐るべきスピードで情報がやりとりされるマスメディアの現場においては、とっても難しいことである一方で、一番大事なことなのかもしれません。
ただただ前のめりに、攻撃的に「伝えたい」と突き進んでも、それは往々にして「のれんに腕押し」になってしまいます。

「命」にまつわる傷を負った人の気持ちは、想像しようにも不可能です。
痛みを代わって味わうことは決してできません。
「貴方」にとって「私」は「他者」です。まったくの「他人」です。
でも、まったくの「他人」どうしが、同じ「コミュニティー共同体」に属していることで、何らかの痛みを分かち合いたいと考え、それが時にその「コミュニティ」を動かす力になることがあるのだとすれば、そのことによって、ほんの少しであっても救われる人がいるのだとすれば、誰かが心の重しをおしのけて、ゆっくりと語り出すまで、何時間でも、何年でも、待てる自分でありたいと感じました。
前へ前へと「伝えたいこと」を押し進めるのではなく、逆に人が私に「伝えよう」としていることは何か、私に求められている役割は何か、という「声」を聴く「耳」を持ちたいと思っています。
「聴く」ことこそが、「伝わる」「伝える」ための最初のステップだということが、今年一年、たくさんの「痛み」に触れて学んだことです。
来年は、相手の呼吸に合わせるくらい、その人に寄り添うようにして耳を傾けるられるようになりたい。
そうして紡ぎ出されたその人の言葉を、解釈するのでもなく、編集するのでもなく、要約するのでもなく、ただ「聴いて」行きたいと思っています。


★「聴く」ことについて鷲田清一さんという哲学者がステキな本を書いていらっしゃいます。
鷲田清一著『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』TBSブリタニカ



posted: blooming date: December 25, 2007 11:12 AM