もう秋の匂いを風の中に感じる今日このごろ、皆さまはいかがおすごしでしょうか?
夏休みの疲れがちょうど出始める頃ではないでしょうか。
私はお盆のちょっと前にお休みをいただいておりました。
それから取材で海外出張が一週間ほどありました。
結構ハードな取材で、帰ってきてから軽い腸炎になり、高熱にうなされました。
行く前にその国の取材は「ハードだよ!」とさんざん聞いていたものの、帰りの便のなかでディレクターがひどい腹痛にうなりだし、とうとう私ともう一人のスタッフがフライトアテンダントの誘導により前方の空いている席に移動させられ、横一列空いた席にディレクターが横になったときには驚愕しました。
ただ、そのディレクターが、ひょうひょうとしていて、とても「ポーカーフェイス」な方なので、スタッフと「まさか彼が…本当に珍道中だなぁ」と苦笑した次第です。
海外から帰ってきて、同行者が検疫のお世話に並ぶのを初めて体験しました。
ところが、一夜明けた早朝、高熱にうなされたときには「ヤバイ!ちょっとディレクターのことを笑ったバチがあたった!」と思いました。
それから病院に直行。
血液検査やら、胃のレントゲンやらで大わらわ。
高熱で動けないので、病院内の移動は車椅子。
家族につきそってもらったのですが、ひたすら「笑えない〜」を連発していました(笑)。
幸い、感染症ではなく、何らかの菌がはいって、腸が軽い炎症を起こしている、とのこと。
先週後半はお休みをいただいたので、大分回復しました。やっと復活できます。
まさに「体当たり」取材だったなぁ、と実感しました。
海外出張をのぞいては、基本的には8月はあまり忙しくはありませんでした。
「8月は暇な月」と報道の世界では言われています。
特に、国会が閉会してからは、政治ニュースにはまったくといっていいほど動きがありませんでした。
もちろん、選挙前後の動きは怒涛のように過ぎてゆきましたが。
その暇っぷりを実感したのがお盆休みのときの「立会い」でした。
日テレの報道局では、ニュースを決めるミーティングのことを「立会い」と呼んでいます。
政治部、社会部、経済部、外報部といった「記者」がいる各取材部の「デスク」(まぁ部長補佐にあたる人々、みたいなものですね)が、報道局の「センターテーブル」に集まって、マイクを通してその日に入っている主な「ネタ」と取材状況を報告しあいます。
このセンターテーブル、夕方の「ニュースリアルタイム」の後ろにうつっています。
日テレの報道フロアは市民体育館のように巨大なので、そこらじゅうに小さなスピーカーが配置されています。
離れたところに座っていても、このスピーカーを通して、大体どういうニュースが注目されていて、カメラマンと記者が取材にあたっているかどうかといったことを知ることができます。
わたしはこの「立会い」が「市場のセリ」に似てるなぁ、と思っています。
ねじり鉢巻をしたデスクたちが、大声で「いいニュースはいってますよ〜!」「さぁどうぞどうぞ見てってね〜!」「これは夕方のニュースにいいんじゃないか〜い!」「このネタはイキがいいよ〜!まだうちにしかはいってないよ〜!独自ネタだよ〜!」みたいな感じで…。
いつもは最低三十分はかかるこの立会いに、お盆休みに異変が起きました。
「経済部です。え〜、今日は…何もありません」
そしてマイクが渡されます。
「政治部です。何も、ありません(苦笑)」
お〜!と思いました。なるほど、企業も「夏休み」に入っているので、新しい商品の発表などもないわけですね。
官庁も同様にお休みなので、大した動きがないわけです。
いつもは基本的に「ぴりぴり」した空気がただよっている報道フロアも、このときばかりはなんとなくゆるやかモードでした。
やっぱり時には「息抜き」が報道でも必要です、みんな人間だし。
それに、世の中が「夏休みモード」に入っているわけだから、その「空気」に合わせるのも実は大事だったりするのかもしれません。
空気と言えば、「KY」という言葉がはやっていますね。もともとは、ギャル言葉だったらしいんですけど、私は、週刊誌が組んだ「空気読めない(KY)安倍総理」という特集ではじめてこの言葉を知りました。
「場の空気を読む」というのは、社会人にとってとても大事なことですよね。
特に、働く女性にとってはさらに必要不可欠なことのように思います。
どれだけ女性の社会進出が進んでいると言われても、やはり基本的に日本はまだまだ男性社会。
この「場の空気を読む」って、英語で何ていうのかなぁ、と考えていたら、どうもうまい訳が見つかりません。
「雰囲気」はambient や atmosphereですがこれは「お店」などの「雰囲気」です。
Moodは人にも使いますが、”he was in a bad mood” (「彼の機嫌は悪かった」)という風に基本的には「個人」に使います。
もちろん、「会議」などの全体的な場所でも、”there was a bad mood in that meeting”(「あの会議には悪い空気が流れていたね」)と使うこともありますが。
ちょっと近い単語だとsense~がありますね。「気持ちを察する」は”sense (someone)’s feeling”と言います。
Senseは「感覚」という名詞でもありますから、「場の空気を読む」ためには感覚的にならないといけないというところからも、結構いい線行っているのではないでしょうか。
一番近いのは、read between the linesという慣用表現。
国語の授業でよく「行間を読みなさい」と言われましたよね?それと同じです。
口には出されていないけれど、でも確実にそこにあるものを感じ取らないといけない、ということです。
だから、「KYな人」は、”someone who can’t read between the lines” となります。
ニュースの現場にいて、色々な場所、人を取材していると「伝えられないこと」と「伝えられること」があるな、ということを非常に強く感じるようになります。
それは、たとえばそのときの「時代の空気」が「右寄り」なのか「左寄り」なのか、ということにももちろん左右されます。
あと、報道独自の「立場」として、使える表現と使えない表現があります。
たとえば、「明日にも本格捜査」とよくニュースで聞きますよね。
これは「事実上の逮捕」の場合がよくあります。
でも、警察側が、「逮捕」を捜査活動を進める上で公表してほしくない場合は、「本格捜査」という言い方をする、という暗黙の了解があります。
記者と警察などの情報源の信頼関係のもとに成立している了解。
報道に限らず、仕事上の関係にはそういった信頼関係がありますが、日本での報道は、特に「記者クラブ」という制度があることで、「外」にはなかなか情報が入ってこないということから、海外のメディアに批判されることがよくありますね。
ただ、現場にいて感じることですが「記者クラブ制度」は大分ゆるくなってはきていると思います。
一番厳しく残っているのは政治と官庁の「記者クラブ」です。
もしかするとこれは日本人が一番この二つの世界が「旧態依然としている」と感じていることと一致するのかもしれません。
何か事件が発生して、私が生中継リポートを担当するときに、番組のプロデューサーなどから必ずと言っていいほど言われることがあります。
「現場の空気を伝えてくれ」
これが一番むずかしい(苦笑)。
そしてもうひとつ、「視聴者目線で」。
つまり、私はみなさんの代わりに「現場」に行っているわけだから、「普通の感覚」で何が一番知りたいことかを伝える。
そして、わかりやすく言えば「新聞」で書かれる記事の「行間を伝える」文字通り、read between the linesをする、ということなんです。
私が育ててもらった場所である「ラジオ」は、「視聴者と近いメディア」だと言われています。
一度、ラジオの番組で「みなさんはどうお考えですか」と言ったとき、あとでプロデューサーにこっぴどく叱られたことがあります。
なぜだと思いますか?
それは私が「みなさん」と言ったからなんです。
そのプロデューサーの言い分はこうでした。
「ラジオは一人で聞くものだ。一対一のメディアなんだ。だから<みなさん>なんて不特定多数の言い方はするな。いつも一人の人に語りかける気持ちで<あなた>と言わなきゃだめだ」。
なるほど!と思いましたね。
考えてみると、このコラムも、「あなた」と言ったり、「みなさん」と言ったり、あんまり一貫していません。
知らない間に「ラジオ」における「近さ」を私が忘れてしまっていたのかもしれません。
最近、車をよく運転するようになったので、ラジオをよく聞きます。
すると「みなさん」というパーソナリティと、「あなた」というパーソナリティがいます。
たしかに「あなた」と言われたほうがなんだかちょっと嬉しい気がします。
様々なメディアのなかで、どんどんテレビの力が強くなっていった20世紀後半、ラジオで喋る人たちも知らず知らずのうちにテレビの影響を受けて、「あなた」から「みなさん」と言ってしまうようになったのかもしれません。
テレビでは「映像」で「場の空気」を伝えられますが、ラジオはパーソナリティやアナウンサーの「喋り」が勝負です。
落語では、「<うどん>と<蕎麦>の違いを表現できたら一人前」と言われているそうです。自分の喋りと表情、身振りひとつで<うどん>か<そば>かを伝えるとは、これはまさに「空気」を伝えることに他ならないのではないでしょうか。
こんなことを書いたのも、実は私が腸炎になった国の取材について、今の段階では「オトナの諸事情」からはっきりとは書けないのですが、ひそかに腸炎の原因となったのが「うどん・蕎麦」ならぬその国の名物のとある「麺」料理を食べたからではないかと疑っているからです(笑)。
また、公表してよい段階になったとしても、その国のことを伝えるには、いろいろな配慮が必要になってきます。
どう表現すれば、私が見て、そして感じた「空気」を伝えることができるのか、今、思案している最中です。
なんだかヌードル状の長いものがとぐろをまいたようなまどろっこしいコラムになってしまいましたが、いずれにせよ、「伝えられること」と「伝えられないこと」の間を行き来する難しさについて深く考えさせられる取材でした。
これからも、常に「うどん」と「蕎麦」の違いを伝えることができる表現者を目指し続けたいな、と思います。

