突然ですが、あなたは毎月必ず買う女性誌ってありますか?
bloomingmarket に立ち寄られる方ですから、もしかすると何冊も買う雑誌があるのかもしれないですね。
わたしも、時には発売日によって月に数冊買うこともあります。
ただ、女的に怠けていると、というか、「女センサー」みたいなものが鈍っていると、まったく買わずに何か月も過ごしてしまうこともあります。
先週、久しぶりに比較的コンスタントに買いつづけている女性誌を購入しました。
ページをめくっている内に気が付いたことがあるんです。
ずっと「ちょっと憧れ」なお洋服や化粧品を掲載している雑誌だと思っていたのに!
ページをめくってもめくっても、「ちょっとこれって子供っぽすぎて着られないなぁ、しかも29歳になったからこれだと安っぽいと思われちゃうかも…」と感じるお洋服ばかり並んでいる。
知らない間にターゲット読者層を変更したのかしら?と思ったりもしましたが、そんなことも無い様子。
どうやら、いつの間にか私が年を取っていた、いや、この言い方はやめましょう(苦笑)、「オトナ」になっていたようなんです。
でも、ほんの半年前はフツーに読んでいたはず。
思うに、ちょっとした出来事がきっかけで、「オトナの階段」を上るってことがあるのではないでしょうか。
最近、近所のTSUTAYAでマンガレンタルが始まったので、おかざき真理さんのテレビドラマ化された『サプリ』を借りました。
主人公、藤井ミナミは大手広告代理店でCM制作を手がけ、徹夜つづきの日々を送っている28歳、彼氏ナシ。
読んでいて、「おっ!」と思ったセリフがありました。
主人公の同僚で、オカマのアートディレクターの三田さんが言った言葉です。
「若い女ってキライよ。あいつら素直とかホンネを本気で美徳だと思ってやがるのよ」
むむむ。というのもこれは、ミナミの下に、新入社員がついた時のセリフなんですね。
いわゆる「研修生」で、ミナミはトレーナー。
クライアントとクリエーターの間をとりもち、お腹がキリキリするような状況を、何とか笑顔で切り抜けてゆくミナミの姿を新入社員は、「笑ってるだけなのに、忙しそうにしてる」と一刀両断。
社会人になりたての彼女には「女」が「働く」、ということがどういうことなのか、そこにどんな辛さや悩みがあるのか、まったくわからないわけです。
そんな新入社員を見て、また別の先輩女子社員がこうつぶやきます。
「私も5年前ああだったんだろうな。5年かけて消したものを見せつけられているようで、ハズカシイ。だから新人てキライ…」。
30歳前後の働く「女性」達には、多かれ少なかれこういう経験ってあるのではないでしょうか。
新人に対して「キライ…」って思ってしまうのは、言ってみれば近親憎悪なんでしょう。それは、「素直さ」とか「純粋さ」とかを失ってしまったことに対する悲しみなんだろうか、それとも、「汚れちまった」自分に対する苛立ち(笑、なんだかクサイですね)のようなものなんでしょうか?
何となくそのどちらでも無いような気がします。
最近、私がもうひとつ感銘を受けた本があります。
渡辺淳一さんの『鈍感力』。
小泉前総理大臣が引用して話題になったベストセラー。
渡辺さんは、繊細すぎて、色々なことを気にしすぎて、才能を発揮することなく消えてしまったかつての作家仲間のことについて書いていらっしゃいます。
彼には、本当にほとばしる才能があったということ。
彼を思い出すにつけ渡辺さんは、他人のことを気にしすぎずにひたすら自分のやるべきことをやるための「鈍感力」も「才能」の一つなんだと実感する、というのです。
元々医師でいらっしゃった渡辺さんの言葉には説得力があります。
アレルギーだって、敏感すぎていいことがないでしょう?と。
確かに私自身もアレルギー体質ですが、どんなにほこりっぽい所にいっても、ネコがいても、平気な顔をしている姉をずっとうらやましく思ってきました。
繊細さって、文学青年らしいガラス細工のようなものとして、どちらかと言えば評価されてきた特性です。
でも、現実社会では繊細過ぎると生きていけません。
そして、「素直さ」と「若さ」と「愛嬌」だけでは無理だ!ってことを痛感するのが20代後半なのではないでしょうか。
「まだいけるかも」と思ってる内に、にっちもさっちもいかない「壁」にぶち当たる瞬間が必ずくる…。
私は、見た目の印象からなのか、バックグラウンドからなのか、政治家に体当たりインタビューする姿や、付け焼き刃のハングルで北朝鮮船の乗組員に大声で「経済制裁どう思いますかーー!」と問いかけて激怒される姿(笑えない…)が与える印象からか、よくわからないんですけど、とにかく「たくましい」、言ってみれば「鈍感」という印象のほうが強い人間みたいです。
本当はお酒には弱いのに「飲みそうだよねー」って言われたり。本当は運動音痴なのに「運動神経よさそうだよねー!」って言われたり。
でも女の子って、どちらかといえば「弱くて守ってあげたい」と思われたいワケですよ。だから、たま〜ぁに、「七尾さんは本当は繊細なんだよね」って言ってくれる人が現れると、「キタァーー!!あなたわかってるーーぅ!」って感じです。
もちろん、ある程度の繊細さを持ち合わせていないと、どんな仕事もつとまらないハズです。
私の仕事で言えば、千差万別のバックグラウンドの人に話を聞きに行くわけだし、場の空気が読めないと取材が成立しないこともある。
ただ、いざって時は周りの空気もなんのその!と爆進する強引さも持ち合わせていないと、これまた取材がポシャっちゃう。要するに、「繊細さ」と「鈍感さ」の「バランス」が大事。そしてこれが何よりも難しい…。
新潟県中越沖地震の取材を、柏崎市内の避難所でしていたときのこと。
まさに「民放の顔」的な、あるベテランのキャスターが現場にいらっしゃいました。
彼が、なんとも表現するのが難しい、独特の雰囲気を現場でかもしだしていらっしゃる。
「ひょうひょう」としていて、「仙人」みたいな感じ。
避難されているおじいちゃんおばあちゃんや、子供たちに話しかけている様子が、まるで長年彼らのそばにいたかのようで、みなさん、そのベテランキャスターと至極「ふつう」にお話をされている。
カメラが回っている時も、回っていないときも、彼はその調子。
彼の中継を見たとき、すごいなーと思いました。
とても落ち着いて、的確に、かつ情感もある素晴らしい中継をされていました。
炊き出しの料理のなかに、「揚げ物」があったことについて、作業の陣頭指揮を取っていた漁協組合の支部長さんと私が、こんな会話を交わしていたときのことです。
七尾「炊き出しで揚げ物って珍しいですよね?」
支部長さん「うん。この辺は漁師が多いからね、地元の小学生は総合学習で漁師さんとこにいって、一緒に魚とかイカののすり身を作ってね、揚げ物を作らせてもらうんだよ。だからみんな作ったことがあるわけ」
七尾「ああ!だからさっきお子さんが『わーい!揚げ物だー!』ってすごく喜んでたんですねー!」
私は妙に納得したというか、ただ単純に「なるほど〜」と支部長さんのお話に感心していたのです。
それは、震災とは関係なしに、「支部長さん」と「私」という、違うバックグラウンドを持つ人間が交わしていた「普通の会話」だったのでしょう。
ちょうどその会話を交わしていたときに、例のベテランキャスターの方が私たちの横を通りました。
そのとき、彼は私をみて「ふふふっ」と笑ったんです。
なんとなく、何で彼が笑ったのか、直感的にわかったような気がします。
私の勝手な解釈という可能性ももちろんありますが、私は彼に、「そうだよ、君はそれでいいんだ」と言われたように感じました。
それこそがつまり、「鈍感」と「繊細」のバランスだったのではないかと。
大変な思いをされている被災者の方々に対しては、もちろんいろんな気配り、気遣いが大事です。
でも、彼らは彼らで「非日常」の中に、何とか助け合って「日常」を保とうと努力をされているわけで、「気を遣う」ことが逆に被災者の方の負担になってしまうことだってある。端的に言うと、「私たちは人間なんだ!見せ物みたいに扱うな!」ということです。
私が避難所の方とふれあったのはほんの二日間だけでしたが、それでも何となくみなさんと仲良くなっていて、少し受け入れていただいていたように思います。
私は、色んな国を転々としたせいか、どこでもずけずけと入り込んでいつの間にかとけ込んでいる、という環境適応能力だけは身に付いています。
日本全国津々浦々、取材で回りますが、その中でこの能力だけは身に付いていてよかったな、と実感します。
「素直さ」だけだと無神経になってしまうことがある。
「計算」しすぎても、「気を遣い」過ぎても、逆に相手の神経を逆撫ですることがある。
TPOに応じて、素直さと、繊細さと、鈍感さを「配分」する。
それは「したたかさ」とも呼ばれるものなのかもしれませんが、言ってみれば「オトナ」のたしなみ、でもあります。
あぁでもきっとこの文章を5年後に読んだら、「なぁ〜に青クサイこと言ってんだ!」って即効削除したくなることでしょう。
まぁ5年後の心配は5年後にするしかないですから、ひとまず今を頑張ろう、ということで、またこれからもよろしくお願いします。

