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  ジャーナリズムとファッション numero2  銀幕の中の<出来る>でも<憎めない>女記者たち

お久しぶりです。
クリスマスのイルミネーションで世の中はとても華やかですね。
でも、外で取材をすることが多い私にとってはつらい季節…なんてったって「寒い!」。
駅から自宅までなど、移動の間に屋外を歩くだけなら、厚手のトレンチコートやハーフ丈のコートでも関東近郊では十分なんです。
でも、私の場合、長時間外で聞き込みをしたり、ず〜っと撮影を続ける。この「連続して長時間、寒空の下にいる」という辛さの洗礼を受けています。
足裏ホカロンを靴の中に仕込み、パンツの下にタイツを履く、などと色々と対策はあるんですが、どこまでやるかが悩み所。というのも、最近のスーツは体にぴったりフィットするカットが主流なので、シルエットに響いちゃう。
極薄の肌着なども出てきているので、日々「防寒グッズ」チェックには余念がありません。

前回のコラムで、ハリウッド映画は新聞と縁が深い、と申し上げました。
特に、30年代から40年代にかけてのハリウッド黄金期にかけて作られた映画で「スクリューボールコメディー」とうジャンルがそうなのです。
丁々発止の知的かつユーモラスな鋭い会話が男女間で交わされ、ケンカをしながら恋に落ちてゆくというもの。
元々Screwball は「左投手だけが投げられる変化球」という意味の野球用語。
要するにかなり「変化球」な男女が登場します。

一番最初に「スクリューボールコメディー」という言葉を定着ささせたのが、クラーク・ゲーブルを一躍スターダムに押し上げた『或る夜の出来事』。
ゲーブルが演じるのは失業中の新聞記者。
彼と深窓の令嬢エリーの珍道中を描いています。
何よりもかっこいいのがクラーク・ゲーブルのファッション。
トレンチコートに、ぴしっとカフスボタンで留められたワイシャツ。
劇中でゲーブルが下着を着ずにワイシャツを羽織ったことが一大ブームになったそうです。
プロフェッショナル、知的、そして何よりセクシー。
彼が、じゃじゃ馬だけど天然の超お嬢様に手を焼き、時には彼女の「変化球」に逆にやりこめられるのが、またいい。そう、スクリューボールコメディーでは女が強い。さらに、このジャンルで新聞記者なのは何も男性だけではないのです。

ハワード・ホークス監督の『ヒズ・ガール・フライデー』ではケーリー・グラントが編集長ですが、敏腕女性記者をロザリンド・ラッセルが演じています。
しかもこの女性記者は恋が成就して仕事を辞めようとしているのですが、何とか彼女を引き留めようと、編集長がスクープを担当させるという、洒落たストーリー。頭がいいけれど、頭でっかちではない女性像が、何とも清々しいのです。

清々しさで右に出る者がいないのがキャサリン・ヘプバーン。
彼女も数多くの記者役をこなしています。『Woman of the Year (『女性No.1』)』ではエリート外交官の令嬢で、政治コラムニストとして国際政治をばっさばっさ切ってゆくテスを演じました。
彼女と売れっ子スポーツ記者のサム(スペンサー・トレイシー)の何ともうまくいかない恋愛と新婚生活が面白い。
テスの姿はニューヨークタイムズの看板コラムニスト、モーリーン・ダウドに繋がるものがあります(ちなみに、ダウド女史は、マイケル・ダグラスがキャサリン・ゼタ・ジョーンズと結婚する前に彼と交際していました)。
モーリーン・ダウドの手にかかると、かのラムズフェルド(早くも「前」が付く日は間近)国防長官は「ラミーちゃん」呼ばわり、ブッシュ大統領はただの「W.」となってひたすらこきおろされてしまう。
トレードマークのハイヒールが、ペンの切っ先となって権力者をこてんぱんにやっつける姿は痛快。
そう、モーリーン・ダウドもまた、アメリカ政治を動かすほどの秀逸な社説を執筆する一方で、アメリカの「ファッション・アイコン」の一人に数えられるお洒落な女性。
ジャーナリズムとファッションは、アメリカ合衆国では蜜月の関係にあります。

「スクリューボールコメディ」に新聞記者が多く登場することには歴史的な理由があります。
夏目漱石が朝日新聞の社員であったように、アメリカを代表する文豪マーク・トウェインも新聞記者でした。
当時、クリエイティブな文章を書く人々が新聞社に職を求めることが多かったのです。そこに目を付けたハリウッドが、脚本を書かせるために多くの記者を新聞社から引き抜きました。
このため、30年代から40年代にかけて、優秀な書き手がみんなハリウッドに行ってしまい、文学は鳴かず飛ばず。文学的には「失われた世代」とも言われることがあります。
そんな「元新聞記者」の脚本家の中には、『椿姫』や『アンナ・カレニナ』といった名作の脚本を手がけたフランシス・マリオンというクールな女性がいます。
彼女は第一次世界大戦のフランス戦線を取材した史上初の前線の女性戦場特派員の一人なのです。なんとマリオンは自身も女優として活躍した時期さえあります。

最近ではメグ・ライアンがボルチモアの新聞記者を演じ、遠く離れたシアトルの男性と恋に落ちる『めぐり逢えたら』(原題『Sleepless in Seattle』)があります。
この作品は、ケーリー・グラント主演の『めぐり逢い』をネタに展開されるので、当時の映画へのオマージュの意味も込め、メグ・ライアンの仕事が新聞記者なのかもしれません。
テレビ・ジャーナリズムの本質をえぐり出した80年代の映画『ブロードキャスト・ニュース』という作品があります。
この中で脇役のディレクターを演じるロージー・オドネルは、『めぐり逢えたら』ではまたしても脇役の新聞記者役。どちらも女性ジャーナリストたちのファッションが、キュートな映画です。

『プラダを着た悪魔』が話題になっていますが、女性誌も広義の意味ではジャーナリズムの一翼を担っていると言えるでしょう。
アメリカでは「ファッション・ジャーナリズム」というジャンルが確立されていますし、新聞にも「政治面」「国際面」などに並んで「ファッション面」があり、きちんと紙面が割かれています。
ファッションは「文化」であると共に「ビジネス」であり「経済」でもあるという観点が徹底しているのです。

サラ・ジェシカ・パーカーのファッションと赤裸々なガールズ・トークで一世を風靡(ふうび)した『セックス・イン・ザ・シティー』でも、ヒロインの仕事はやはり「コラムニスト」でした。
これはまだまだ「意見」と「ジャーナリズム」の関係が成熟していない日本では定着していない仕事ですが、アメリカの大新聞では、新聞社の社員でない「コラムニスト」が名前を明らかにして「社説」を張ることが一般的です。日本の社説は往々にして名前が明らかでない社員記者が書きます。
すると、書いたことへの「責任」の所在がより不明になりますよね。
批判を一手に引き受けるリスクを背負い、自分の意見を知性と文章力で世間に知らしめ、世論を問う、という「コラムニスト」。
しかもセクシーで、ファッションセンスも抜群(あ、でもSITCの女たちはなかなか結婚できないけど、苦笑)、という天は二物も三物も与えるのだ、と言わんばかりの女性たち。
そんな「口達者」で、「じゃじゃ馬」で、事件が起きたら「突っ走り」、でも時にスタンドプレイで失敗してしまって落ち込んでいる姿がケーリー・グラントやクラーク・ゲーブル、そしてマイケル・ダグラスといった稀代の色男を参らせてしまう、「出来る」でも「憎めない」女性像には、いろいろと学ぶべきところがありそうです。

posted: blooming date: December 8, 2006 11:34 AM|